竹中産業とは

■創業期
1925年
合資会社竹中商店創業

国内、旧満州の石炭、韓国の無煙炭、北ベトナムのホンゲイ炭など日本へエネルギーの安定供給を担う
関東大震災や昭和恐慌の中、「相場ものは手をつけてはいけない。実業、どんな世の中でも必要とされるものを扱うことが大事」と、本業を中心とする経営方針が現在まで貫かれる。

1939年
竹中産業株式会社となり
東京へ移転

組織変更にあたり、三井鉱山本社の日本橋付近(現在の神田鍛冶町)を本拠地とする
「利は元にあり」これからのエネルギーは石炭から石油中心になると予見し、東京で次世代エネルギーの取り組みを始める。

■拡大期
1946年
名古屋営業所開設

日本の復興と自動車産業の躍進に合わせ、産業用ガスの事業をスタート

1954年
北陸地域の石炭事業の躍進

北陸石炭株式会社のM&Aを機に石川県、富山県、福井県の石炭事業を面でとらえる。

1955年
初代竹中定次郎が出張中に病で倒れる
定次郎の長男宗嗣は、当時まだ学生で取引先の信用を得るうえで「安定した利益を確保すること。不良債権は未然に防止すること。自己資本比率を高めること。堅実こそ信用を得る。」と学び、堅い決心のもと現在までつづく強い財務体質を築く。
1957年富山営業所開設
1959年福井営業所開設
福井営業所立ち上げ時、伊勢湾台風が猛威を振るい、愛知・三重の状況を視察 高潮による田畑の塩害に対して、なにかできないか…。田畑の復興、塩の中和にガーバイドの残土が有効と知り、取引先に供給の快諾をいただく。
1962年富山油槽所開設
石炭・コークス、産業用ガス・容器・産業機材・機器・化学関連分野への業容の拡大。
これからの日本の産業界は技術革新が急速に進展する。時代が求めるニーズに的確にこたえるため技術・情報に裏付けられた確かな商品の共有にこそ当社の価値がある。
1972年柏崎油槽所を開設
アスファルト事業のスタート(海上輸送で24時間の安定供給を実現)
田中角栄氏の政策綱領の高速交通網の施策に対して、新潟県、北陸三県の延べ476.5kmのアスファルト合材の安定供給を実現。それにとどまらず、北海道から九州までの資材供給につながっていく。
1973年オイルショック勃発
多くの商社が石油高騰を「千載一隅のチャンス」として便乗値上げが横行したが、竹中産業はご法度とした。
「世の中が混乱すればするほど、正しい道を歩もう」 「商人は人としての道を外さず誠実を貫く、商道は正道である」
1973年オイルショック勃発
多くの商社が石油高騰を「千載一隅のチャンス」として便乗値上げが横行したが、竹中産業はご法度とした。
「世の中が混乱すればするほど、正しい道を歩もう」 「商人は人としての道を外さず誠実を貫く、商道は正道である」
■現在~イノベーションへ
1986年経営理念の制定、
コーポレートアイデンティティ
60周年を超え、日本の好景気と産業発展に対応していくため、新たな組織づくりに着手
1990年~2000年台
全国拠点の連携、ネットワーク(社内LAN)の構築など情報網を整備し、独立採算の体制から全社的な活動へシフトする
2000年竹中繁夫(現社長)
代表取締役就任
創業期、拡大期を経て、新たなビジネス&イノベーション企業としてのスタート
2007年T-リバイブ商品化
2010年アースガードT商品化
2011年オイルムーバー商品化
2012年原缶回収エコターンTサービス化
QTマット商品化
マルチクリアーT商品化 2013年スーパーアースガードT商品化
2015年創業90周年
2016年オイルムーバーT商品化
2017年環境経営システムエコステージ4認証取得
2020年創業95周年
様々な産業分野で環境対応が求められています。当社も外部機関の環境経営システムの認証を取得し、取引先との“共創”の観点から新しい商品開発を強化していく。そして国内から海外へファブレスメーカーとしての新しい時代に突入する。